ソフトウェア無線機とは
ソフトウェア無線機とは、電子回路(ハードウェア)に変更を加えることなく、ソフトウェアを変更することによって、通信方式を切り替えることが可能な無線機です。
例えば、昔は文書作成にワープロ(20世紀末ですね)、計算には電卓、プレゼンテーションにはスライド用紙とプロジェクターといったように、それぞれ機能ごとに異なるハードウェアを用意していましたが、今はPCにWord、Excel、PowerPointが入っていて、一つのハードウェアでソフトウェアを変更することによって、機能を切り替えることができる、そんなイメージです。
ソフトウェア無線機の利点は次の3つです。
・ ソフトウェアの追加で機能を増やしたり、性能も向上したりできること
・ 複数のハードウェア無線機を持つことなく、一台のソフトウェア無線機を持てば済むこと
・ 複数のハードウェア無線機を製造するのに比べて、部品の種類が少なくかつ共通化できること
逆に欠点は次の3つです。
・ 起動時間がかかる
・ 電池の消費が大きい
・ 発熱量も大きい
ソフトウェアをCPUで処理する必要があるため、PCと同様の欠点があるのです。
このため、ハードウェア無線機とソフトウェア無線機のどちらを選択するのか判断する際には、安易に後発のソフトウェア無線機が優れているとはせず、利点と欠点の両面を理解して、どちらがニーズに合致しているのか見極める必要があります。
ソフトウェア無線機の研究開発
防衛省(当時は防衛庁)におけるソフトウェア無線技術の研究は、平成11年に「多変調通信実験装置」という事業で開始され、平成14年からは日米共同研究となりました。
この研究成果を反映して、日米それぞれ開発フェーズに移行しました。米軍ではJTRS(統合戦術無線システム)の開発、防衛省では広帯域多目的無線機(新野外通信システムという事業の一部)の開発が始まったのです。
先に開発をスタートしたJTRSは、排熱系の設計に不具合が発生して開発が長期化し、さらにコスト上昇もあって一部機種を除き計画は中断されました。
平成19年に開発をスタートした広帯域多目的無線機は、平成23年に完成しました。
この無線機はソフトウェア無線技術による新機能だけではなく、液晶端末を有しスマホのように操作できる機能も実装しました。
令和の時代感覚ではそんなの当り前ですが、Steve Jobs氏が初代iPhoneを発表したのが平成19年だということを考えると、技術的に当時世界最先端の無線機であったと言えるでしょう。
防衛用無線機と民生用無線機
しかし、広帯域多目的無線機は防衛用無線機でした。
過酷な環境でも使用できる頑丈・防水・防塵性を有することはもとより、「いろんな便利な機能が使える」よりも「何があっても音声通信だけは確実にできる」が求められます。
つまり、iPhoneなどの民生用スマホとは、求められる機能・性能が異なります。
「動画を送れる高速通信」と「災害派遣活動でも壊れない頑丈さ」、ベター論ではどっちもあった方がいいでしょうけど、防衛用無線機ならば「頑丈さ」が優先です。
スマホは当然逆でしょう。高速通信ができない、いわばずっと速度制限が掛かっているようなスマホは困りますからね。
もちろん、広帯域多目的無線機が防衛用無線機として失格であったわけではありません。
防衛装備品として必要な過酷な環境の性能確認試験を合格しているのですから。
しかし、ガラケーからスマホへの過渡期に開発された無線機、「防衛用の評価基準」と「民生用の評価基準」の両方で高性能を要求されるジレンマがあったのです。
防衛用無線機の宿命である電波の問題
民生用スマホとの比較ならば、さらに問題を難しくしているのが電波の問題。
周波数の割当は総務省のHPで公開されています。
自衛隊の陸上通信でよく使われるVHF帯の帯域幅(物流における道路幅のイメージ)とスマホでよく使われるプラチナバンドの帯域幅には約200倍の差があるため、通信速度の差を縮めようと技術でどんなに頑張っても物理的に勝負になりません。
人が傘を傾げて行き交う幅2mの小路と、東京タワーが真横になって転がり続けても大丈夫な幅400mの道(?)、比較になりませんよね。
このような事情があるため、若い自衛官がスマホ感覚で広帯域多目的無線機の液晶端末を使おうとしても、違和感だらけでしょう。
スマホに比し圧倒的に遅い通信速度に慣れていなければ、通じていないのでは?と思うのも当然です。
技術陳腐化と耐用年数超過、待たれる後継装備品の開発
そして開発から16年が経過(令和5年時点)し、民生品としては骨董品級(初代iPhoneを現役で使っていることになりますね)、比較的長く使われる防衛装備品としてもすっかり陳腐化しました。
この無線機に「民生用スマホ並みの高速通信」を求める人の期待からはどんどん遠ざかっていきます。
装備品の更新判断としてバスタブ曲線という、以下のようなライフサイクルがあります。
初期故障期(故障が多い) ⇒ 偶発故障期(故障が少ない) ⇒ 摩耗故障期(故障が多い)
広帯域多目的無線機はすでに摩耗故障期、つまり寿命を迎えています。
加えて、IT部品は技術進展が速いため、16年前の設計で選定された部品には製造終了となったものもあり、企業が事前に確保した在庫部品で何とか補給整備しているというのが実情です。
故障率は高くなり部品枯渇のため修理も遅くなるでは「防衛用無線機らしい不死身さ」を求める人の期待からもどんどん遠ざかっていきます。
つまり、未だに後継装備が開発されていないことが、広帯域多目的無線機が抱えるジレンマを一層顕在化させているのです。
「旧型ハードウェア無線機の方がいい」「5G回線を使ったスマホの方がいい」、ごもっともな声が上がります。
とどのつまり、この相反する要求を一つの無線機で実現しようとする試みが、いささか野心的であったのかもしれません。
とはいえ、これは米軍ですらわからなかったことであり、当時の開発コンセプトを後出しジャンケンで批判するつもりは毛頭ありません。
それよりも、早く後継装備の開発に着手し、広帯域多目的無線機の良かった点は継承、悪かった点は改善すればよいのです。
相反する要求は、別々の器材で実現するのも一案です。
ソフトウェア無線技術で防衛用ハードウェア無線機の機能のみを集約したシンプルな防衛用無線機。
増加するデータ通信所要に応える民生通信器材(スマホやモバイルルーター等)。
この2つを別々に部隊へ導入するのです。
ソフトウェア無線技術を使えば技術的には集約できるのですが、これまで論じてきたように相反する要求は「混ぜるな危険!」です。
ソフトウェア無線技術は、防衛用無線機の発展に間違いなく有益でした。
次への課題も得られたので、後継装備の開発が待ち遠しいですね。