麓へ
北海道をズバッと縦断する日高山脈。
未だに手つかずの自然が多々残されており、まさに日本に何カ所かある「最後の秘境」の呼び名にふさわしい。
北は上川山地の手前から、南は襟裳岬まで続いている。
美しいだけではなく、極めて厳しい自然環境を有していることでも有名である。
私と高校時代の仲間は、今まさにこの難関へと立ち向かう・・・気はさらさらない。
その南端のちょいと西側に、「アポイ岳」と称する標高800m程度のかわいい山があるのだ。ここへ行ってきた。
でもbutしかし! 海に隣接するこの山、ある程度の高台から登山開始する一般庶民的な山どもと異なり、まるまる800m登り切らなければならず、さらに日高山脈に隣接するだけあって結構険しい。
現に我々はかつてこのアポイ岳に挑み、予想外の困難さに手こずって8合目付近で登頂を断念した苦い経験がある。
ある事情により、登山開始が夕方となってしまい、もはや周りの地形が識別できないほど真っ暗になってしまったのだ。
人はなぜ、苦労してまで山に登るのか? 「そこに山があるからさ」と有名な登山家は言った。
早朝に札幌を出発した我々はなぜ、夕方から登り始めたのか? 「そこに馬がいたからさ」と友人Aはホザきおった。
今回は同じ過ちを繰り返してはならない。
というわけで、途中どうしても避けて通ることのできない胆振日高の馬産地を通過する間、Aにブリンガーを施す緊急措置をとった。
この効果は絶大で、我々としては奇跡的にサラブレッドを見に寄り道することなく、昼前にはアポイ岳の麓に到着できた。
しかし、Aがこのあと熱発。
やはりお馬様にきちんと挨拶しに行かなかった祟りか? とゆーわけで、我が愛馬CR-V号の鞍上にAを残したまま、我々はアポイ岳征服に挑むことになった。
さらばA、君のことは忘れないよ。
登山
まるで神様が手抜きしたかのような雲一つない単純な青空の下、我々の登山は順調に進んだ。
中でも一番軽快に登っていくのは友人B。私を含む他の3人は、軽装とはいえ一応足に負担がかからない服装で、ちゃんと帽子をかぶるなどして登山者らしい格好をしていたが、Bはジーパンに無帽。なのに一番元気。
しかし、次第にこの神様の手抜きと思われていた青空が、実は底意地の悪い嫌がらせであったことに我々は気づき始める。
季節は8月、そう、めっちゃ暑いのだ。
ここは北海道だから正確に表現すると、「なんまら(“なまら”の最上級であったと記憶している)あちぃーべやぁー!」ということになろうか?
どこの山にも必ずある「馬の背」とやらに到着した頃には、全身汗だく、お肌はUVからIRまで存分に浴び、飲み水も残り少なくなってきた。
奇しくも前回と同じ8合目のあたりで、疲労と水分の不足が妥協というハーモニーを最大音量でがなり立て始めた。
ところが! 実はBが全員ののどの渇きを潤すのに十分な、大量の水を持って登山していたことが発覚。
とてもそんな重い荷物を持っているようには見えなかったのだが。
そんなこんなで息を吹き返した我々は、山頂直前にありがちな岩場急斜面も無事クリアし、なんとか盗聴に成功したのである、もとい、登頂したのである。
下山
借りた金は返さねばならない。
食ったメシは排泄しなければならない。
そう、当然登った山は降りなければならないのである。
こういう時、フツーは来た道を帰るものである。
ところが、「あれ? なんかこっち側にも道があるやん。こっちの方が近道なんとちゃう?」。
そう、残念ながら我々はアブノーマルな集団だったのだ。
当然神様はこういうひねくれ者達を愛しはしない。
てゆっか、最初から邪魔する気満々だった頼もしき神様は、ここぞとばかりにワナを仕掛けてきた。
道はどんどん登山地点から離れていく。
かといって、ここまで来て戻ることは魂的に受け入れることのできないひねくれ者達ばかり。
だいぶ遠回りとなったが、我々は何とか登山口への帰還に成功した。
もうあたりは暗くなり始めていた、かどうかは記憶が定かではない。
ただ、登山口に残置していたAのこの一言だけは覚えている。
「このカーナビ、“まもなく2時間になります、休憩しませんか?”とか突然鳴り出したぞ(そーゆー機能が確かに付いている)。おかげで途中で起こされたべや」
いぃーい身分やのう、われ。いつか必ず暑寒別岳を登山させたるけぇーのぉ! と、密かに決意しつつ、我々は帰途についたのであった。
神様とは、実はきっとAのようなヤツであるに違いない・・・。